この世界では、”言葉”が魔力を持つ。

水面に梅、橋に鶴

(雅螺)

極夜@雅螺 > 「水は透き通る。故に鏡となる。ならば我が神、我が真の心を写す鏡となり得るか?」(遠く、祭囃子にも似た艶やかな光が頬を染めた。花街の灯だろうが、はてさて、最近此の辺りによく来ているような。鏡面にも似た細い川を眺め、ころり、悪戯に口遊んだ。魔除の朱色に塗り上げられた橋にはもう人通りか細く、眼下に見える川面に揺れる鮮やかな光だけが今宵を照らす提灯のよう。高欄に頬杖をゆるりと突いて見下ろす川はまるで、紅葉を纏う秋の川のようだ。嗚呼、如何に人の欲情映る花街の灯といえど、水に映ればこうもうつくしい。水とは真に不思議なもので、例えばそうだ、蝶の骸が道端にあれば人は忌々しげに目を細めましょう。けれど川面に素晴らしくひらりひらり浮いているならば、不思議な事に、人は生死とは儚きと哀しみながら其の景色を讃えるのです)「言い方を変えよう。我が神よ。貴方を信じる無垢なる信者の問いに答え給へ──散々人を操り、人生を捻じ曲げた馬鹿な人形が、美しい華を乞うは罪だろうか。希くば無事であれと望むは罪だろうか」   (6/2 21:52:18)
極夜@雅螺 > (ぷつん、人の波は途切れてしまった。残されたのは神が宿ると囁いても肯いてしまうような、まこと神秘に満ち満ちた川と、ずぅっと昔に人形として生きる事を押し付けられたたった一人の大嘘吐き。対象的にも程があるでしょう?可笑しいでしょう。御家の仰せのままに嗤っていたお人形が、こんなにも麗しい水を信じているのです。人の言う通りに手足に糸を括り付けた馬鹿な人間が、げに芳しい梅の花を想い続けるのです。馬鹿な話でしょう、罪な話でしょう。誰にも言えない。言えばしない。吐露してしまえば梅の花に迷惑が掛かりましょう。叫んでしまえばやさしい華は胸を痛めてしまうやも知れない。自惚れでしょうか。けれど望んでしまうのが人の性。昔お人形だった嘘吐きに巻き付く呪いの糸はぷつんと切れて、自由になったお人形は心を持ってしまったのですから)「僕の心はきっと梅の姿をしていましょう。麗しきを愛する我が神。清きを愛する水神よ。華を散らしたくないのであれば、あの子の無事を。──祓い給ひ、清め給へ」   (6/2 21:52:28)
極夜@雅螺 > 「守り給ひ、幸へ給へ」(戦に出ているという小さな梅の花。自由になった代償は大きかった。お人形は人間になって翼を貰った代わりに、大事な梅花をお人形の代わりに捧げる事になってしまった。後悔?いいえ、していませんとも。人間なのに人形であると縛り付けられる日々がどれ程くるしいか。誰にも分かりますまい。判って堪るものですか。けれど嗚呼、僕の我儘であの子が散ってしまうような事はあってはならない。故にただ、祈りましょう)「……………守りたければ、己で行けと。我が神の答えは其れかい?残酷なものだ。いいや、当然か。良いよ、良いさ。護る為の人間に成って魅せましょう」(──虫の騒めく嫌な予感。虫の報せとでも言いましょうか。くるりと身を翻した其の背で、ひらりと濃紺の上衣が揺れる。朧月夜のうつくしき日、尊華と名付けられた国の片隅、梅の花を想う白い鶴がひらり、微笑んだそうで)   (6/2 21:52:42)