この世界では、”言葉”が魔力を持つ。

贋纏い

(エクヴェル&火津彌)

エクヴェル > (澄み渡った空に、燦然と輝く太陽。朱に塗られた数々の格子窓が照り映えている。柱の陰に佇み、ただぼうっと通行人を眺めていたエクヴェルは、いよいよその無為さに嫌気が差してきて、誰に向けるでもなく一つ溜息を吐いた。次に自分の足元へ視線を落とせば、今身に纏っているものを再確認させられる。……鮮やかな萌葱色の、尊華らしい女物の衣装だ。――ここは、尊華の帝都・榮郷の場末にある、某花街。尊華でも有数の遊郭であり、日が隠れている間は大変な賑わいようである。しかしこのような白昼では、夜の妖しさは幻であるかのように、至ってありふれた街に過ぎない。それどころか、閑静ですらある。わざわざそのような時間に、このような場所へエクヴェルが“散歩”をしに来たのには、一つの原因があった。――贋纏いの日。魔術師が異性装をする、伝統的な慣習。楽しむ者もいれば、渋々といった様子の者もいる。基本的に催事が好きなエクヴェルが後者であるのには、間違いなく彼の仕事の手口が関係していた。仕事でもないのに何故、寧ろ俺の仕事では嘘を吐けなくては困るのだ、そういった理由からどうしてもこの日を迎える気分は重かった。)
エクヴェル > (……しかしそれでも、魔術師として生きている以上、参加するのが義務のようにも思えて。或いは、世界の大勢が動き出したこの時だからこそ、気分転換を求めていたのかも知れない。そうして“業務用”の王国風ドレスとは違う、尊華の着物で身仕舞いをしたは良いものの、そうしてまで部屋に閉じ籠もっている訳にはいかず、それでいて纏め上げた金の髪で市井人の注目を浴びたくもなく、かと言って、魔術師だらけの軍へ出来栄えを自慢しに行く気にもなれなかった。……男装女子は構わない。却って微笑ましく、好ましい。しかしながら……普段の癖でついきらびやかな出で立ちに目を向けると、化け物がいるのだ。化け物が。余りにも天秤に掛ける物が違いすぎる。そう思考した末に、逃げるようにしてこの場所へと辿り着いたのだった。)


火津彌 ◆ > (美虎攻城作戦を終えて、火津彌は榮郷のとある場末に居た。赤い格子窓に柱。ベンガラの拭漆によるその極彩は娼館の証だ。軍には公娼が付き物である。こういった時世では必然的に私娼が増え、軍内に於ける性病の蔓延は常に、火津彌のような兵を纏める立場の者にとっての悩みの種であった。戦いで熱り立つ感情の捌け口がなくてはならないのも解らないではないし、金のある軍人ともなればあちらさんにとっても上客だ。そういった事情から、火津彌は時折この花街を訪れる。ただ今日は、もう二、三の理由があった。一つは美虎作戦を失敗した自分がどんな面を下げて基地に戻ればよいかという問題で、一般人には用の無いであろう昼の花街は恰好の逃げ場所であった事。もう一つは……贋纏いの日。言葉を重んじ、神に嘘はつけないという理由から嘘を”纏う”ようになったというこの民間信仰は、軍人にとっては宗教的な意味合いが強かった。)  
火津彌 ◆ > 魔術師ならみなやることではあるし、殊更嫌がって見せるのも年甲斐のない気がして、ただ静かに、誰にも見られないように恙無く完遂する事を火津彌は望んだ。……とはいえ、自分の為だけにそんなことをするのも、なんだか馬鹿馬鹿しくて。せめて自分の女装姿を毎年楽しみにしてくれている、あの人にだけ、この街に住む産みの母親に会いに行こうと言うのが、理由であった。)……はぁ、母さん、あんまり張り切らんとってや……。(柄にもなく独り言を声に出して、とぼとぼと歩く。火津彌の母はまだ彼が赤ん坊だった頃、鬼灯家を追い、彼にとっての産まれ故郷であるという厘都から榮郷に遷った…らしい。そして火津彌が現在の地位に就くか就かないかといった頃には身請けの相談もしたのだが、どうにも何と言うべきか。彼女はただ、”花街でしか生きられない種類の人間”としか言いようがないのだ。……現役を引退した今でも髪結いなどの仕事を持ち、母は、いつまでも華やかな赤い柱の中に居る。)  
火津彌 ◆ > ……ん?(ふと、足を止める。こんな昼間なのに格子の中にいるわけでもなく、柱の陰で嫋やかに佇む女の姿が目に入った。その髪はこの国には珍しい黄金色で、嫌でも目をひいた。)……こないな処で別嬪さんが何してはるん……って…げっ……。(おもわず声を掛けてしまったのは、実は割といつものことで。母親の事があるからか、自分はどうしてもこういった身の上の女性には優しく、甘くなってしまう。……ああ、そう。女性には。)……エク……あー………(柱に手をついて声を掛ける自分は、わりと気障だったかもしれない。そんな姿を一番見られたくない相手に見られ、さっと血の気が引くのを感じた。…エクヴェル。美虎作戦の前にこちらの派閥につけと言い、歯に衣着せぬ言葉を返してきた男。負ければ賊軍とまで言われ、こちらもおもいきり啖呵を切った相手。色々な要因が重なり、火津彌は何事もなかったかのようにくるりと踵を返し、こめかみを抑えながらすたすたとエクヴェルの前を通り過ぎていった。)


エクヴェル > (一つの靴音と人影が、自身の前で止まることに気が付いた。こんな所でも面倒な、と思いかけた矢先、聞き覚えのある落ち着いた肉声と訛りに顔を上げる。――やはり、何かの誤りであるはずもなく、その主は火津彌であった。しかも、贋纏いの日であるのに、女の装いをしている様子もない。ほんの一瞬、どのような態度を取るべきかで逡巡する。佐官、ここで一体何をなさっているのですか。この日に、至って平時の格好で。況して、部下にそのような形で声を掛けるなどとは……。……戦は、惜敗であったと聞き及びましたが。――しかし、あからさまにしくじったという表情を浮かべ、何事もなかったような振りをして立ち去ろうとする上官に、思わず吹き出してしまった。)ふっ……ちょ、ちょっと、待って下さいよ、“色男”さん。流石に今のは、見過ごせませんって。……今日は贋纏いですよ、どうしてこのような場所に、そのような普段着で?(柱の陰から出ると、日差しが髪に反射して眩しい。けれども女物の下駄を鳴らしながら、慌てて火津彌を追いかける。抑え切れない下卑た笑みを必死に誤魔化しながら、先程の疑問の一部を呈した。)


火津彌 ◆ > (ああ…なんたる失態。このところ失態続きだ、疫病神にでも憑かれたかと思案していると、後ろから小馬鹿にしたような嘲笑が聞こえ足を止めた。……放たれた明らかな皮肉に押さえていた蟀谷をひくつかせる。あなたの言葉をひとまずは聴くが、一瞬の停止の後は無視を決め込んで歩みを進めた。しかしあなたは見逃してはくれず、こちらを呼び止めながらついてくるからからという下駄の音までがなんとも愉しそうで、おもわず一言言ってやろうと振り向く。日差しに反射してきらきら光りながら笑うあなたが目に入り、おもわず俯いて黙ってしまった。……『流石は密偵様やの。なんや、お前がそのなりでは強く言えんやないか。』) 
火津彌 ◆ > (火津彌は観念し、腰に手を当てて左右に振りながらため息をついた。)…あー。その通り。俺が色男や、おんな泣かせの美丈夫や、なんか文句あるか?…はっ。(自分で言っておきながらその台詞はあまりに馬鹿馬鹿しくて、火津彌は自嘲した。そのままつかつかとあなたに歩み寄り自分の両腕を組むと、下から上へ品定めするような視線を送る。)……何故こんな場所に…は、お前もやろ。僕は”コレ”に会いにきてんねん。贋纏いなんかしてられるか。(腕を組んだまま、小指を上げてみせてにやりと笑う。もう、どうにでもなれ。) 


エクヴェル > (火津彌の如何にも尊華らしい、貴族らしい皮肉が彼自身に向けられているのを聞けば、遂に笑いが堪え切れなくなって腹を抱える。)く、ははははっ、ハハハ!あー!面白ぇなぁ、佐官……おっと、失礼致しました……くくっ。(自分を値踏みするかのような切れ長の目にも構わず、一頻り声を上げて笑い終えた後も、暫く喉を鳴らしていた。……仕事で女の真似をしている普段であれば、絶対に出さない本来の口調。それに加え、同胞である帝國軍人であるとは言え、相手は腐っても上司だ。しかし、所詮贋纏いの日であるからか、いつの間にか砕けすぎていた言葉遣いを何とか正そうとする。そして、自分の問いかけに対しての答えを聞いて、ようやく一息ついて口を開いた。)
エクヴェル > はあ、へえ、なるほど。いえいえ、そりゃあお邪魔を致しまして、申し訳が御座いません。はあ……くくっ、そのお相手の方に、俺に声を掛けている所を見られなくて良かったですねえ。いやしかし、俺でさえ嫌々贋纏いをしているのですから、佐官もなさったら宜しいのに……そうしたら、逆に俺が佐官に声を掛けていたかも知れませんね、はははっ!(明らかに自棄になっているこの上官が、本当の事を言っているのかどうかは分からない。意外だと思わなくもないが、そんなものだろうという気もするし、何よりさしてこの男の人格と言えるものを詳しく知っている訳ではないのだ。……それでも改めた筈の軽口が止まらなくなってしまっているのは、今までが余りに退屈な時間だったせいかも知れない。)いやー……大変な失礼を、お邪魔を致しました。では、俺はお暇した方が宜しいでしょうかね、佐官?……実に残念ですが。(化粧が落ちないよう、細心の注意を払いながら眦の涙を指で拭って、息も絶え絶えにそう尋ねる。)


火津彌 ◆ > (あなたの笑いが弾けるのを耳にし、火津彌は眉根を寄せながら目をしぱしぱと瞬かせた。口は真一文字に結ばれ、ゆっくりとゆっくりと、頭は下へと擡げられてゆく。頭上に降り注ぐあなたの言葉は、なんとも腹が立って、それでいて竹を割ったように、痛快だった。)……貴様、エクヴェルこの野郎……!あー、佐官佐官と、心にもない口がよう回りよるわ。どうせ僕の事なんざ負け犬やと思ってんねやろ、なぁ。(戦略と策謀渦巻くあの帝國軍の中で、厘都産まれの育ちをひた隠しにしながら腹の中を狐と狸の化かし合いを続ける火津彌にとって、あなたの軽口はある種、閃きに似た爽快さを覚えさせた。あなたがそう来るのならこちらとて取り繕う気ももはや失せきったというものだ。乱暴に肩を組み、軽く頭を締めながら売り言葉に買い言葉を続ける。いつもの雅さを取り繕った、口の中から響く静かな声色ではなく喉からの発声。それは、戦いによって少し枯れてしまったがらりとした声音だった。)
火津彌 ◆ > 負け犬の火津彌と、呼んだらどうや?尊華の命運を掛けた死合いを日和見るんは楽しかったか?密偵様よ。どいつもこいつも煮え切らん事ばかり言って動かんから、僕がこんな羽目になるんや。あー、せやな。僕の女装はここの姐さん連中に毎年好評やから、あんたもやられてしまうかもわからんで。くそ、こっちに付けなどと言わずにあんたを誘惑してやったら良かったわ。噂は聴いてるで、お前こそ”色男”やってな。(言い切って、はっと口を噤む。自分が毎年きっちりと贋纏いに参加している事を匂わせる発言に、あなたは気づくだろうか。火津彌はもう、何もかも取り繕えないような予感がして、自棄のようにあなたの背中を叩いた。)


エクヴェル > (はち切れた、という表現がしっくり来る火津彌に頭蓋を締められ、多少の苦しみに顔を顰めながらも、その口角だけは上がったままだ。そして明朗な発声を耳にして、それが少し嗄れていることに気付く。ああ、“別嬪さん”などと呼ばれた時に、やけに重厚さを感じたのは、これを気遣ってのことだったのかも知れないと思い当たった。)っそんなこと、思ってませんって。痛い痛い。悪かったですから!ごめんなさい、ごめんなさい火津彌さん。(最早、彼は自分の知っている高官の姿ではなかった。エクヴェルとの応酬、とも呼べない程に一方的に捲し立ててくる佐官を、必死に宥める。何とか腕を半ば振り解き、気道を確保すると、深く長く清新な空気を吸い込んだ。)
エクヴェル > はー……。イテッ!(深呼吸していたところ、背中に衝撃を受け、火津彌を睥睨する。幾ら上官と言えど、自分の発言が端緒だったと言えども、このまま不承不承自分の非だけを認めて終わり、なんてことでは気が収まらない。その綻びを見逃す遠慮はなかった。纏めた髪型が崩れ、頬に掛かっているのを感じて、それならいっそと頭を振って髪を下ろす。)……ほー、そうですか。“僕の女装は、ここの姐さん連中に、毎年好評”、なのですか。えぇえぇ、俺は色男ですとも。女泣かせの美丈夫で眉目秀麗なモンですから、並大抵の誘惑には屈しないですがねぇー。(一言一句、火津彌の言葉を引用したかと思えば、お次は更に自画自賛を連ねて。今度は嫌味な笑みを隠そうともせずに、それ以上に“女性としての笑顔”を作って見せた。……“どういうことですか?”とまでは問い質すことはせずに。)


火津彌 ◆ > (火津彌に頭を触られ、きれいに結い上げられた髪は少し乱れる。鬱陶しそうに何度か髪を振り払う仕草をしていたように見えたあなたは、まるで女性らしくない動きで頭を振り、癖のある金髪をばさりと肩に落とした。『ああ、母さんがこいつを見ればきっと喜ぶやろなぁ。舶来人形のような髪、いじりがいがある言うて……。』突然母の事を思い出し、待たせてしまっている事にも気づく。母のところへ行けば、ついてくるだろうか、こいつ……。)……くくっ、言うやないか。”賊軍”にはもはや媚びる言葉もないか。(火津彌はそう言いながらも、あなたの笑顔にどこか優しい愛嬌のようなものを見る。それは母や姐さん達を思わせる強さを彷彿とさせて、この笑顔で何人もの男を誑し込み仕事をしているのだろうと改めて間者という立場に納得が行く。)
火津彌 ◆ > ……あー……そうや。……毎年な。……この日だけ”娘”が出来ると、喜びはるんや。……けど、本当に僕が女やったら、軍にはおらんやろうな。多分、あの見世で働いとったはずや。お前も女に産まれてたら、どうなっとったんやろな。(ふう、と諦めたように息を吐き、ひときわ豪奢な柱の館をちらと見る。火津彌の出自についても一部の下層を覗いてはもはや周知の事であるし、間者のあなたに心理戦を仕掛けるのも釈迦に説法だと諦める。……ああ、既験感(デジャヴ)、である。)……俺は負けたが、あの時の言葉は撤回しない。尊華の男に二言はあらへん。……エクヴェル、必ずお前を手にする。……来るか?(それは、あの館についてくるか?という意味でもあったかもしれないし、こちらの派閥につくか?という意味でもあたかもしれない。ともかく、腹の中を全て曝け出し、火津彌にとっては異常に”らしくない”発想であったが―――……『いっそ、友になってしまえば』と。そう思ったのだった。) 


エクヴェル > (ぽつぽつと母親の事、そして自身の思いを語る火津彌の表情は、どこか決まりが悪そうにも見えて。エクヴェルは歳上の上官に対し、改めてその人間性を垣間見た気がした。……人は少なからず、表に出す自分を装っているものだ。奇しくもこの贋纏いの日に際して、この男の衣が一枚剥がれた事を実感した。)……まだ、賊軍とまで呼ばれる筋合いもないでしょう。何せ……(そちらには大将官と少将官が与しておられる。そう言い終える前に、唇を縫い付けた。……振ってきたのは佐官とは言え、このような外部で深い話をして危険を冒す必要はない。)女性として生を受けていたら……ですか。まあ、佐官同様、何もかも違ったとは思いますが。(呼称を正しつつ、変わった話題について頭の片隅で思案する。天から性別という枠で二分される事について、自身の生業故に考える事は多かった。……そして、この高官も氏素性を鑑みれば、自分と似た思いがあったのかも知れない。多くは語らずに、火津彌の誘いに耳を傾ける。)
エクヴェル > ふっ……そんな“口説き文句”、仕事でも滅多に聞きませんよ。(またわざとらしく嬌笑を浮かべてみせれば、同じように下駄の音を転がして火津彌を追い越し、館へと向かった。尊華の男らしく行動で示したとも、女らしく仄めかしたとも、或いは全てを誤魔化したともつかない形で。)〆