この世界では、”言葉”が魔力を持つ。

嵐の前

(カヤ&ゼペタル)

カヤ > (尊華帝國が帝都にて出陣の用意をしている。そんな情報が信者より届いたのは、数日前のこと。帝國が重い腰を上げたのであれば、相手は数十年前に土地を奪い取ったヨズアであろう、そう見当をつけるのは容易だった。とうとう始まる。戦乱の夜明けだ。大陸は麻のように乱れ、そして――。逸る鼓動を抑えきれずに、カヤは神島のとある街中を走る。走る。未だ治りきらぬ両足の古傷が痛み、足が縺れて転びそうになる。すれ違う人々が奇異なものを見る目で振り返るが気にすることなく、ただひたすらにとある人物の下を目指して狂ったように石畳を駆けた。今すれ違った人形を抱えた子供、手を繋いで恥じらう恋人たち、仲良く歩く老年の夫婦、彼らはこの戦火を生き残れるのだろうか。その未来を想像すれば自然と唇が歪んだ。ひとり残らず死ねばいい。ヨズアも、帝國も、王国も、誰もかれも皆。もがき苦しんで死ねばいい。そして恨めばいい。神を、自分を、すべてを。)   
カヤ > ……っ! いたな、ここだと思ったぜ、ゼペタルの爺さん!(肩で大きく息をしながら、カヤは足を止めるなり、その人物を見下ろした。ゼペタル。カヤの師であり、恩人であり……、カヤは胸中に沸きあがったノスタルジアから目を逸らし、敢えて無いものとして目を瞑った。子供じみた感情に用はない。激しい怒りと憎しみだけを友とせよ。忘れるな。自分の心にそう強く言い聞かせて、乾いた喉で無理やり唾を飲み込んだ。その音がやけに大きく聞こえたのは気のせいだろうか。嘗て見上げた大きな背中も、今では自分の方が見下ろす立場になってしまった。盲いた彼の瞳に、今の自分の姿、カルティストの教祖、カヤの姿は映ってはいない。そのことに安堵を覚えてしまうのはなぜだろう。嫌だ。自分の行いを知らぬゼペタルではないのに。腰に両手の拳を当てて、彼の耳元に唇を寄せれば、周囲に聞こえないよう声を落とし、それでも抑えきれずひき嗤いをしながら囁いた。)帝國が来るぜ、アンタとシュクロズアが奪い取ったこの神島へ。


ゼペタル ◆ > (ヨズア唯一の領土・シント。塒にしている小さな小屋の外に椅子を出し、ゼペタルは座っていた。周りは畑で、時々サクランボや杏の木が生えているだけの野の中に居を構えているのは、自身の魔術によって日々の糧を得やすいからでもあったがそれだけではなかった。この野には近所の子供達が時々遊びに来る。その声を聴くのが何よりも、ゼペタルは好きだったのだ。もはや自分の真名を知る者がいつ居なくなってもおかしくない老いた身の上ならば、孤独を友として生きていくのも悪くないだろう。せいぜい子供達に変なじじいだと思われているくらいが自分にはちょうどいいのだ。それがシュクロズアのお導きならば尚更。……今日は子どもたちは居ないらしい、そんな事を思いながら遠くへ意識を向けると、耳慣れた足音がこちらに向かってくるのを聴いた)……!(地に足をつけるのを厭がるような、浮ついた軽薄な足音。かつては馬のように軽快だと好ましく思った事もあるその足音。足音は目の前で止まり、そしてゼペタルに声をかけた。)
ゼペタル ◆ > ………イ‥シュア…ッ……(自らが名付けたものを震えた声で呼ぶ。杖の上部で組んでいた指は、老いのせいか、いとも簡単に震えた。『なぜ戻ってきた。』そう尋ねようとするとあなたは屈むようにして耳元に唇をよせ、グロテスクな嗤いを零した。嫌な予感がする……そう思ったのもつかの間、お前の口から告げられた言葉は、帝國襲来を告げる凶報であった。『……帝國が来る、だと?……このシントを奪いに?』戦う必要などないくらい何もかもを持ちながら、強欲にも再びヨズアを蹂躙しようと言うのか。それが戦争だという事は旅団に長く居るだけあり、当然わかりきっている。被害者じみた考えを持つつもりはない。しかし、激しい怒りと憎しみを友とするのは戦うもののさだめなのだ。そうお前に教えたのも恐らくは、紛れもなく自分なのだろう。)……それも、貴様の……”信者”とやらの情報か。……ふん、役に立つ事もあるんだな。(いつもの好々爺らしい口調ではなく、思わず若い頃の喋り方に戻りながらそう呟く。) 
ゼペタル ◆ > ……イシュア、貴様も戦え。今ならまだ…(『償える。』その言葉をごくんと飲み込み、再び口を開いた。)……今ならまだ、間に合う。ヨズアの神やシュクロズアを冒涜したお前が救われるにはこれしかないはずだ。貴様も解っているのだろう、俺の考えなど。(お前に魔術を与えた事をずっと悔やんでいた。しかし、お前が己で付けた、お前の呪わしい生い立ちを思い出すいまいましい字を口にしたくはなくて、皮肉にもそう呼ぶしかなかった。自分の真名と似た響きのそれを。)  


カヤ > (枯れた声がカヤの名を呼んだ。真名、本来であれば親が付けてくれる筈だったそれを、傷にたかる蝿と膿にまみれた死にかけの子供に与えてくれたのは、偶然、通りすがっただけの見ず知らずのお人好し――つまりは貴方だった。喉の奥から絞り出されたかのような声は、自分の帰還を歓迎しているとは言い難い。だが、それも当然だろうと冷めた心で受け止めた。顔色は変えない、大丈夫。一方的に別れを告げて、恩人である貴方の元を飛び出して行ったのは他ならぬ自分自身だった。貴方の一番大切なものを侮辱して、ヨズアを戦争に駆り立てている自分の噂が、大陸から隔絶され平和ボケした雰囲気すらあるこの島にも、届いているのだろう。許される筈がない、ほらね)そりゃそうさ、耄碌しきったアンタらが惰眠を貪ってる間に、こっちはちゃあんと働いてたんだから。何年ぶりだ、5年、6年ぶりかな?
カヤ > (……怒った。幾ら年を重ねても人の性格を形成する根っこの部分は変わらない、沸点の低い血気盛んな師匠。魔術の修行中、何度その杖で頭を叩かれたことだろう。不幸な過去を持つ魔術の才溢れた優秀な弟子にすら貴方は容赦をしなかった、まるで普通の弟子のように扱ってくれた。人一倍優しい癖に不器用な人。カヤは悪いことが見付かった子供のように目を逸らすと腰を伸ばして自ら手首に触れた。醜い傷跡を隠す、他人から奪い取った呆れるほど豪華な腕輪や首飾り。これらの戦利品に触れていると自分の目標を見失わずに済んだ。自分はカルティストのカヤなのだ。貴方しか知らない名前を呼んで、戦いを促す貴方を鼻で嗤おうとして、失敗する。凍りついたように表情が固まり、身の内から沸々と激情が込み上げ、思わず握っていた左手を振り払った)
カヤ > ……ハッ! 救いなんざいらないね! 本当に助けを必要としていた時に、助けてくれなかった神様なんてこっちから願い下げだ!誰も助けてくれなかった誰も、痛くても、苦しくても、オレを無視しやがった!親も、神様も、シュクロズアも、誰もオレを救わなかった!オレに……(唯一、手を差し伸べてくれたのが貴方だった。それはきっと間違いだったのだろう。今の自分を鑑みればなぜ神に見捨てられ続けたのか理由も分かると言うものだ。興奮のまま言葉を紡げば、奪い取った戦利品がぶつかりあい高い金属音を奏でる)ヨズアになんか生まれたせいだ。アンタだって、ヨズアなんかに生まれなけりゃ、今頃どっかの軍の大将を勤めあげ、左団扇の生活をしてたんじゃねぇのか。こんな田舎でガキどもに馬鹿にされて、それでいいのか?オレはアンタの気が知れないね!神がオレを許さないってんなら、好きにすりゃいいさ。オレもオレを救わなかったすべてを絶対に許さない。 
カヤ > (なぜ帝國と王国がするに任せ、ヨズアが滅ぶのを嗤って見ていることができなかった。わざわざ大陸から神島に渡って軍の強襲を教える必要がどこにあった。なぜ貴方に情報を伝えようだなんて気を起こしたのだろう。この情報は一夜にして旅団の間を駆け巡るだろうし、そうでなくとも血気盛んで知られた貴方は自分の年齢も弁えず、ヨズアの唯一の領土を守るため前線に赴いてしまうことだろう。それが分かっているからこそ自分の相反する行動が許せなくて、これ以上相手に喋らせないよう声を張り上げ、感情の赴くまま矢継ぎ早に言葉を連ねた。まるで駄々を捏ねる子供のようだ。こんな筈ではなかったのに、冷静に嘲笑して、どうなるか見物を決め込んでやる予定がとんだおお番狂わせだ。握り締めた右手には無意識に力がこもり、金持ちを真似て綺麗に整えた長い爪が手の中で曲がって折れる感触がした。)


ゼペタル ◆ > (わざと此方を煽り立てるようなお前の口振りに、皺だらけの瞼の中でふっと眼球を上下させた。お前が何を目的としているのかは全く解らないが、ただ一つ解る事は、この老耄を見くびっている…否、甘えきっているのだ、この奇妙な関係に。お前が嘗てそのようにして、このゼペタルを試すかのように何度も何度も挑発をくり返す度、本気で怒り、抱擁をし、弟子として扱ってきた。けれど俺はお前が本当に求める親の愛にはついぞ成り損なった。その事実だけが重く悲しくのしかかり、ただゼペタルは喚き散らすカヤの言葉を、静かに聴いていた。)……イシュア……。
ゼペタル ◆ > (俺が親になど、なれるはずもなかったのだ。俺に出来る事と言えばただ、神やシュクロズアを引き合いに出すことだけだった。今も手の甲と手首の刺青を擦りながら、シュクロズアならどうしたかと考える。…俺はシュクロズアの一番弟子、シュクロズアリ旅団の長老。黄昏のゼペタル。……しかし、それに触れていても、盲のゼペタルには皺だらけの手の感触しか測る事はできなかった。かちり、かちりと響く金属音に、お前の姿を目に浮かべる。想像の範疇を出ないお前の姿は見栄っ張りで、からっぽで。張りぼてのようだった。)……俺は、俺はヨズア人だ、自由を愛する生粋のな。お前も……その星の巡りからは逃れられん。血が叫ぶのだ、イシュア。……解らんか、解らんのか……ッ……!!
ゼペタル ◆ > (椅子から立ち上がる事もできず、身体をわなわなと震わせて声を上げた。その怒りはただの他人に覚えるにしてはあまりに身勝手で、理不尽なものだった。”誰が育てたと思っている”……生を強く憎むお前に、これほどの荒唐無稽な言葉はないだろう。皮肉にもそれだけがゼペタルを未だに親たらしめていた。子供のように抱きすくめてやる事はもうできない。それをするにはあまりに二人とも、不器用すぎたからだ。)……失せろ、カヤ。お前が俺を殺す前に……。帝國襲来の報せは聞きとどけた……案ずるな、お前の目論見どおり、ノコノコと行ってやるつもりだ……。だが、そう簡単に死ぬと思うな。ヨズアの神が俺を生かし続ける限りはな。


カヤ > (はらはらと杏の白い花弁がゆっくり舞い落ちる姿が視界の端に映った。風もない、季節でもない。それなのにまるで未来を予兆するかのように舞い散る白い花は、カヤに帰路を促す道しるべかの如く街へと続く石畳のうえへ降り頻る。もう限界なのかも知れない。そう思った自分の心に、なにが?とカヤは聞き返す。この平和ボケした愛おしい場所は確かに数年前までは自分の故郷だった、仮初の場所であれ初めて安堵を覚えた場所だった。それに別れを告げた、もう戻らないと、貴方が教えてくれた呪文を唱え、大空高く舞い上がった。あの日のことは忘れない。貴方の瞼がぴくぴくと動くのが見える。その下ではいったいどんな光景を思い浮かべているのだろう。自分だけが過去に固執している気がして、激情に支配されていた心の奥がゆっくりと冷えていった。孤独は心を冷たくさせる。) 
カヤ > ……解らねぇよ。あぁ、解らないね!ヨズアが自由の民だってんなら、俺はその血の呼び声にも逆らってやる!(大声で叫びながら大丈夫だと自分に言い聞かせた。大丈夫、ひとりだってうまくやれる。これまでだってそうだった。誰にも頼らない。ただ貴方の存在だけがこのクソッタレな世界で唯一の例外だった。愛してると、伝えられなかった。違う!そんなものは必要ない、旅立つ前伝えられなかった言葉を悔いてなんになる。貴方の大きな手が私の頭をなでることだってもうないのだから。椅子に座ったまま動かない貴方を見下ろしてほらねと自分に告げた。旅立ちの時だ。貴方の縮んだ唇が耳慣れぬ名前を呼ぶ、自分でつけた名前なのに、貴方にだけはそう呼ばれたくなかった。大丈夫、大丈夫、だから、空へ)ダー・ニト・ロロイ・シュクロズア、軛を解き放ち我空を舞う、自由への道を示せ!(呪文を唱えると地についた両足がふわり宙へと浮かびあがった。自重が消えたことにより足の痛みから解放され、眉間に深く刻まれた皺が少しだけ浅くなった。)  
カヤ > あぁ、そうしてやるよ!クソジジイ!(目論見とはなんなのだろう。自分でも分からない。厳格な貴方に反発して、同じ言葉をなんども口にしては家から飛び出して行った。そんな言葉を吐き捨てた。ただ昔と違うのはその先に『死んじまえ!』と続かなかったこと。口にできる筈もなかった。重力という軛から解放され大空へと舞い上がる体、小さくなる貴方の姿に背中を向けると白い花を咲かせる木々の上空をわざと花弁を散らしながら飛び去った。華やかな甘い匂いを感じる鼻腔の奥がなぜかツンとした。)一端〆