この世界では、”言葉”が魔力を持つ。

凶報と福音

(アッシュ&浦舳)

アッシュ > 「⋯⋯、」((夜闇に包まれた帝國帝都。ウェンディア程の輝きや熱気は無く、ましてやこの中心部から逸れた小道などは、どこか閑散とした雰囲気に包まれていた。設置された街灯の間隔も、その光量も。ウェンディアと比べれば少なく、暗い。植えられた立派な桜の木の美しさもあまり目立たず、木陰に立ち尽くす人物の存在だけが強調されていた。)「......ックソ...!くそっ!!......なんで...」((ローブ姿の男は、手に持った一枚の紙をぐしゃぐしゃに丸めて、力任せに放り投げた。それは、再びウェンディアと尊華の間で戦争が起きた事を知らせるもので。胸の内の悔しさを激しく吐露すると、傍にあった桜の幹に強く拳を打ち付けた。少しだけ、木が震えた。何度も何度も、拳を叩きつけたのか、彼の右手は腫れ、擦り傷から赤く血が滲んでおり。そのままずるずる、と桜の木に背中を預け。力無く腰を落として、項垂れてしまうのだった。) 
アッシュ > 「......やっぱり何も...してやれないのか、俺には...」((何もかも自分のせいなのに。いざ突き付けられると心配で。自分の意思で別れを告げた筈なのに、遠く離れたお前の生を祈り⋯⋯、決して手が届かないとしても、自分勝手にお前という存在を必要としていた。⋯⋯酷く悔しくて、醜くて、虚しくて─────寂しい。⋯⋯感情の渦に呑まれて、沈んで、慎ましやかな街灯に照らされる中、一滴の雫を流した。


浦舳 > (この世界、この大陸における千年間の沈黙を破った、尊華帝國の攻城。浦舳がその情報を掴んだのは、それが実行に移されるほんの数日前のことで。それほど突発的な城攻めだったのかも知れないし、あるいは密偵である自分がその尾をも掴めないほどの徹底した箝口令が敷かれていたのかも知れない……そんな簡単な推測の時間をようやく持てたのは、攻城戦が終わり、その号外の知らせが帝都たるエイゴウの市民に撒かれた頃であった。自ら王都であるウェントに伝えに行く時間すらない、逼迫した事態だったのだ。メッセンジャーの手によって無事に母国に伝達されたことをやっと確信したのは、帝都に漂う噂などではなく、報道機関による“惜敗”と書かれた紙だった。ただそれでも、不安にざわめいた胸は未だに落ち着かなくて。当てもなく夜の路地を彷徨いながら、好きなだけ思索の時間を設けることにした矢先だった。)
浦舳 > …………。(丸められた紙屑が、夜でありながら温い春の風に流されてか、足元に転がってくる。拾い上げるまでもなくそれは、今日街に溢れた号外のものであると分かった。元々目的地などなかったからか。何とはなしに、方向を定めて歩みを進める。――先には闇で輪郭が曖昧な桜の木があり……ついこの間、半年ぶりに聞いた声の欠片が、自分の耳に届く前に空気に溶けていくような気がした。……いや、気のせいなどではない。“バッシュ?”反射的に心の中で呼び掛けたそれは、喉を震わせることはない。ただ、その一本の桜へと、足だけが動いて。)――“アッシュ”……?(そう声を掛けてしまったのは、そのあまりに打ちひしがれている姿がまだ見えなかったから。その、一筋の涙が月明かりに照らされて光る前だったから。)


アッシュ > 怪我せず、元気にやっていますか。楽しそうに笑えていますか。⋯⋯お前が無事でいてくれるなら、それで⋯。片膝を立てて、その上に片腕を預けて項垂れるアッシュ。月の女神様に祈りを捧げ、何も出来ない自分を悔やむ、ただそれだけ。停滞した時間の中を揺蕩っていた男の耳に届いたのは。)「────!⋯⋯⋯っぁ。」((あいつと〝同じ〟懐かしい声に、反射的に顔を上げた。分かっていたのに、一瞬だけ期待してしまう。夜闇にペリドットを幻視したけれど、涙でぼやけた視界が揺れれば、そこにあったのは琥珀色。半開きになった口から、震えるような声が零れ落ち、ぽたり。雫が頬を伝い落ちるのを合図に、再び項垂れてしまい。⋯⋯情けない。こんな姿は、見られたくなかった。旧友に見せるには、あまりに弱くて、情けなくて、何より醜すぎる。ここに居る理由は君とは違う。ただ背を向けて逃げてきただけ、それなのに悩むなんて、なんて虫の良い話だろう。暫くの間黙りこくってから、ぽた、ぽた、と留まることを知らない雫を落とし続けながら、我慢出来ずに喉を鳴らしてぽつぽつ、と言葉を紡ぎ出すのだった。)
アッシュ > 「⋯⋯浦、舳、⋯。⋯⋯⋯戦争、起きた、よな。」((⋯⋯その声は、明らかに〝アッシュ〟では無い。彼に似たそっくりさんのもの。昔のままの声を震わせて、ゆっくりと顔を上げた。夜に溶ける紺色の髪と、月のような瞳を見上げる〝バッシュ〟の顔は、涙で既にぐしゃぐしゃに歪み掛けており。落ち着き払った、静かで重い口調は面影すらなく。再び顔を伏せたバッシュは両膝を抱えて、顔を埋めてしまった。)「⋯⋯⋯お、おれっ、ウェンディアから逃げて、来たんだ。⋯な、のに、心配なんだ⋯、レ、フィーネが⋯。」((『⋯自分、勝手だよな。』篭った声ではあったけど、最後に付け足した一言は酷く鮮明で、重たく響き。それ以降はもう、喉を鳴らす事しかしなくなった。


浦舳 > (かつて、百騎長の地位にあった旧友。彼のこのような様相を、果たして何人の仲間が見たことがあるだろうか?……そのような驚きの感情は、彼の濡れた瞳と、その口から絞り出すように放たれた言葉と字とによって掻き消えた。)……百騎長……?(その男の、縋るような視線を受けて僅かに生じた……“疎ましさ”。よく身に覚えがあるそれは、自分に“浦舳”という人間を見ていなかった故のものだと悟った。)…………。何が……。(あったのか、と続けて問うことは、本来容易かったはずだ。しかし、桜の木を頼りにするようにして蹲るアッシュを見、思わずその先を失ってしまう。……現百騎長と元百騎長。二人の関係は、決して悪い種類のものではないように思えていた。……少なくとも、自分が関わっている最中は。足元の彼には聞こえないように、音無く透明なため息を吐く。そして、もう一度――その疑問を、声の調子に気を遣って投げかける。)
浦舳 > ……何が、あったの?百騎長と……。……ウェンディアから逃げてきたって……自分勝手って、どういうこと?(子供をあやすかのように、しかしそれを気取られないように注意しながら。――“旧友”の頃なら簡単だっただろうに。絶対に今、口には出せない思いが胸に去来するが、それよりも。自分に吐き出すことで、彼の助けになるのであれば……。これが心底自分の善意から来るものなのか、それとも一時的にでも戦のことから思考を剥がしたかっただけなのか。浦舳自身もよく分からないままに、彼の弾む呼吸に耳を傾ける。)


アッシュ > 〝百騎長〟。かつて、その言葉に何度も動揺していたアッシュ。その理由は今更言う必要も無いだろう。今も同じ。その響きに、肩を震わせる。しかし、今アッシュの胸の内に去来したのは、今までは違う感情。自分ではない、今その単語が意味するたった一人の人物を思い出して、⋯⋯震えていた。その理由は、自分でも絶対に気付きたくなかった。)「⋯うら、へ。」((⋯⋯見苦しい。俺は今、何を求めているのだろう。抱えた膝に顔を伏せて、視界に何も映さずして、浅ましく求めているものはなんだ。悲しげな声が己の喉から出ているのも酷く腹立たしい。ぎゅうう、と膝に回した腕の力を強めると、君に何を求めてか、己の心の内にあるどろりとした欲望を吐き出した。)「⋯俺は、レフィーネに⋯、酷いこと、言った...、振り回して、結局自分に嘘までついて、別れてさ。」((慰めが欲しいのか、それとも切っ掛けが欲しいのか、旧友にこんな事を打ち明ける理由が頭の中で浮かぶけれど、どうしても止められない。結局何も変わらない自分は、今度は縁を切ったハズの旧友に頼ってまで、何かを求めている。自分勝手に振り回して......)
アッシュ > 「⋯あいつが、心配なんだ。いつもいつも、俺から居なくなるのに⋯結局の所、俺は────」((────その先は、流石に言えなくて。喉の奥で詰まらせると。埋めていた顔をそって上げて、君の足元を滲んだ黒瞳で見つめ⋯縋った。)


浦舳 > (悲壮な声色に彩られたその断片的な情報では、事の仔細までは分からない。けれども朧げながら、二人の間に起きたことを想像することはできた。浦舳は俯くように頷き続け……やがて、潤んだ眼差しと目線がかち合う。あまりに複雑な色が混ざりあったその黒色を、しばし離すことなく見つめる。)……、アッシュ。(そう一言、名を呟くと、目を伏せた浦舳はゆっくりと地面に屈み込んだ。夜闇の中の桜の木の陰は、もうほとんど塗られた黒に近い。彼の目を見ても、髪を見ようとしても、分からないかもしれない。)……私の中にあの子を見ているのなら、それは徒労。私でない誰かの中に見たとしても……同じこと。……少なくとも今の貴方にとっては、きっとそう。代替品が本物に成り代わるほどの、長い月日が経ってしまえば――。(口は噤み、心の中でのみはっきりと続ける。……たとえ、彼女が今回の戦で命を落としていなくとも。千年の沈黙を破った今や、“その”戦が起きてしまう可能性は、日に日に増していく。……彼女が、百騎長である限り。)
浦舳 > ……貴方は、彼女と向き合うことからも、自分と向き合うことからも逃げている。……けれど、意思だけはそこにある。向き合おうとする意思が。そして、それを為せない自分を戒める意思が。――それが、間に合えばいいのだけれど。(春宵の漆黒の中。溶けて一塊になった闇の中で、独り言のように呟かれた言葉の端に、かつての旧友を傷付ける冷ややかさは微塵もない。ただ、淡々としていた。……それでもほんの少し、柔らかく響くのは、空気の暖かさ……あるいは桜の木の温もりのせいだろうか。)


アッシュ > 「⋯⋯あ、あ⋯。」((屈み込んだ浦舳に、途切れ途切れの返事が返る。優しく瞳を合わせようとしてくれた君の優しさに甘えて、一瞬瞳を歪めて...、また視線を少し下げ。貴女の言葉を待った。続けられるであろう言葉に...恐怖して、期待した。相反する二つの感情は、きりきりと胸の中を傷つけていった。アッシュの中の、自分を保つ為だけに存在する〝人としての正しさ〟と、浅ましい欲求がぶつかって。)「⋯⋯そう、だよ、な。」((短く、ぽつりと落ちた一言。⋯浦舳は、凄く立派な人だった。正しくて、優しくて、いつだって俺は、お前に頼って、お前の助言に頷いて、同調していた。⋯何となく出てきた一言が、困った時にいつも頼っては、返ってきた助言に対する返事と一緒だった事に気付いて。ゆっくりと顔を上げると、綺麗な琥珀を静かに見つめた。淀んだ黒を弱々しく歪ませて、その中に僅かな一瞬の間、君の色を映して、⋯⋯少しだけ、揺蕩った。何かを言いたげに口を開いたけれど、そこから出てくるのは、少し温かい自分の息だけ。⋯⋯結局、諦めたのか再び視線を下げると、重々しく、濡れた声色で。) 
アッシュ > 「⋯ごめん、浦舳。⋯また、お前に。⋯ずっと、お前に甘えてばかりだったよ、な、昔から⋯⋯⋯」((何度も何度も甘えて、このザマだ。今更どうしようもなくて、謝ることと感謝することしか、浦舳に出来ることはない。助けられてばかりで、何かを返したい、そう思うのに、俺には何も。⋯僅かに声のトーンを下げると、背後の桜の幹を頼って、何とか立ち上がろうと足に力を込めながら。ぼそりと一言だけ。『⋯⋯ありがとう』と喉を震わせた。───相変わらず、旧友の呪文は人一倍俺を支えてくれるものだった。


浦舳 > (ふらつきながら、よろめきながら。また、桜に半ば凭れるようにしながらも、辛うじて立ち上がるアッシュを遥か下の視点から見守る。微かに春の夜の暖気を振動させたその声を耳にして、浦舳は目を細めると、首を横に振りながら悄然と立ち、彼と相対した。)……そんなこと、ない。偉そうに物を言ってごめんなさい……。(再び双眸を伏せるまでもなく、身長差のある二人の視線が自然に合うことはない。不意に、けれども緩慢に、浦舳はアッシュの傷付いた右手に触れた。そのまま、自らの手が血で汚れることも厭わずに、両の手の平でそっと包み込む。)
浦舳 > ……希う、望春の樹霊よ。我が掌に在りし虚しき現身に、妙なる福音をいざ告げん。(そろそろと呪文を唱え終われば、最後にほんの少しだけ強く、自分のそれよりもずっと逞しい拳を撫でて離す。……初めから、こうしていれば良かったのかもしれない。私は本来、器用ではない人間なのだから。効くかどうかも分からない“呪文”より、正式な、本物の呪文の方が、余程。)……こちらこそ、ありがとう、アッシュ。(――生きていてくれて。再び巡り会ってくれて。……今も尚、戦い続ける旧友へ。……浦舳はそれ以上は何も言わず、恭しく頭を下げると、踵を返してまた別の闇へと姿を眩ませていった。)〆