この世界では、”言葉”が魔力を持つ。

露店

(アッシュ&浦舳&レフィーネ)

アッシュ > ⋯⋯3月のウェンディア王都は、相も変わらず賑やかな空気に包まれている。街ゆく人々を狙ってか、大通りでは幾つもの屋台が犇めきあって元気に客を呼ぶ。それ等を生業としている彼等からすれば、最も華やぐこの時期に稼げないのは死活問題であるだろうから。⋯⋯そんな大通りの屋台群から離れた場所にぽつん、と設置されているのは、如何にも地味で小さな屋台。)「⋯⋯⋯駄目、だよな。やっぱりこの時期は。」((カラフルに彩られた大通りの屋台とは月とすっぽんな...、茶色一色の古ぼけた屋台。古物屋で安く買い叩いたソレの中では、同じようにぼろ臭い茶色のローブに身を包んだ人物が一人ぼやいている。カウンターの上には紙で出来た小袋が2つ。貨幣一枚で買える値段のバタークッキー。⋯⋯だが、あと2つだけ。売れ残ってしまっていた。元々そこまで沢山作った訳ではなかったのに、まさか売れ残ってしまうなんて。あっちの屋台群のように大声で客を呼べれば良かったのだけど、あんまり大声を出して目立ちたくは無くて。
アッシュ > ────最早どうしようもなく、はあ、と深い溜息を吐いたアッシュは、そっと屋台から体を出すと、長時間影の下に居たからか、やけに眩しく感じられる陽射しに目を細め。フードを深く被り直した後にそっとカウンターの上の紙袋に手を伸ばした。


浦舳 > (母国ウェンディアでの数日の滞在も、今日が最終日。明日からはまた、潜入先である敵国――尊華に渡って仕事に身を窶す日々が始まる。仕事が嫌いなわけではない。しかし、花祭りによって盛観を極める王都の様子とは裏腹に、浦舳の気持ちはどこか重く沈んでいた。そのためか、もう一度出向こうと街に出たにも関わらず、足先は段々と賑わいのある往来から離れていってしまって。気付けば、露店なんてないような――否、たった一つだけ、屋台のある路地に行き着いていた。 自然とそのみすぼらしい店に意識が向く。……同時に、自分と似たものを感じてしまう。華やかな大通りから離れ、こんな所で営業しているなんて。店主への同情か、憐れみか――あるいはそれは自分に向けてのものかもしれない、浦舳はそんな考えを頭の隅へ追いやり、その屋台へと近づく。ちょうど店主が、売り物の紙袋に手を差し伸ばしたところだった。)あの……こちらのお店は、何を売っているのですか?(そう声を掛けた相手の姿形に、かなり薄っすらとだが――見覚えがあるのを感じる。)


レフィーネ ◆ > (ウェンディア、路地、石畳。軽やかな音を立てて、なめし革のブーツが駆ける。白いペチコートのレースと、緑の髪が揺れる。…レフィーネは、人気のない路地を当て所もなく駆けていた。騎士団の制服を脱ぎ、素朴な花の刺繍に裾を縁取られた青いワンピースを着て。公休日だと言うのにレフィーネ心の中は騎士団の事でいっぱいだった。むろん彼女は騎士団に特別な想いを抱いている。そこは暖かな居場所であり、自己実現の場であるが、今は少しだけ違った想いでいた。…使命、と言うにはまだ稚い、種のような。しかしながら確実に、心の柔らかい部分に根を張った"それ"は、元百騎長、バッシュの捜索であった。この半年間ずっと姿を眩ませていた彼の事だ、簡単に見つかるとは思えない。だが、ふとこのような人気のない場所に来るとつい姿を探してしまう。今も別の目的で路地に来ていながら、フードを被った人物を見かければ迷いなく追いかけるだろう。あえて本腰を入れて探している訳ではないから、自分の時間の全てを費やして探しているとも言えないし、あれ以来常に心の隅に引っかかっているのだから、費やしているとも言える。)
レフィーネ ◆ > (…尤も、密偵でもないレフィーネがもう一度バッシュに会う事ができたとしたら、それはきっとレフィーネの捜索が実を結んだわけでも、彼の隠れ方が甘いわけでもなく、太陽神のお導きなのだろう。)…い、居るわけ、ないですよね。(ふっと肩の力を抜き角を曲がると思わず立ち止まる。フードの人物…。しかしすぐにそれがバッシュではないと気づいたのは、聖騎士団のマントを着ていたからだった。)き、きしだんの、ひと?…こ、こんなところで、あ、あうなんて…。(近くに寄って声をかけてみようか。レフィーネはその人物に向かって一歩、踏み出した。)


アッシュ > ⋯⋯どうしようか。自分で食べても、今更だ。何度も今まで食べた事がある。それこそ騎士団に居た頃、皆に渡す前は何度も味見して確かめた。結局いつも通り、たまに顔を出す孤児院の子供達にあげればいいか、と思考を固めてしまうと、すっかり冷めてしまったバタークッキーの小袋に手を伸ばそうとした所で⋯⋯掛けられた声に。思わず振り向いた。突然の事で顔を伏せる事すら無く、フードの下とはいえ陽射しが入り込み、君にその顔付きをはっきりと視認させてしまった。⋯⋯つい数日前に続いての、ミスだった。)「⋯⋯っ。」((驚きから伸ばしかけて居た腕を引っ込めてしまい、続いて僅かに瞳を見開いてから、わざと顔を隠すように若干視線を伏せる。一瞬映った瞳は、以前君と出会った時とは違い、フードに射し込んだ光を受けても尚暗く、淀んだ色をしていた。何かに気付いたような、それでいて焦ったような表情の移り変わりはどちらかと言うと控えめなもので、それにはっきりと気付ける人物はそうは居ないだろう。職業柄、相手の感情や表情変化を読み取るのが得意だったりする人間、もしくは⋯⋯その相手の事をよく知っている人間だとか、そういった偶然が重ならない限り。
アッシュ > もしかしたらそんな幾重もの偶然が重なった稀有な相手ならば、一瞬開いた男の口が、「う」の形をしていた事にも気づけたかもしれない。数瞬の沈黙の後。改めて屋台の紙袋を片手に纏めて掴み取ると、俯きがちな顔を隠すようにそっと掲げてみせた。)「⋯バタークッキーという焼き菓子を、売っています。俺の手作りですが⋯。」((⋯⋯思わず敬語を外してしまいかけた自分が、本当に嫌だった。夜空のような紺の髪に琥珀色の瞳。記憶を呼び起こす迄も無く、名前がつらりと出てきてしまって、昔の様に砕けた口調で話してしまいそうだった。⋯⋯どうするか、まだ気付いていないみたいだし、さっさとこの場を去ってしまおうか。そう思って、そっと片手に纏めた2つの紙袋を両手に1つずつに分け。)「良ければ売れ残りなので、一つ差し上げま─────⋯⋯っ!?」((紙袋を君に手渡そうと、腕を差し出した時に、図らずも視線が上がって。琥珀の少し後ろ、此方を見ているペリドットに気付いたバッシュ。喉を詰まらせるような声を上げて、フードの下で淀んだ宝石を見開くと。腕を君に向けたまま思わず、片足を後ずさるように下げてしまったのだった。  


浦舳 > …………。(店主は思ったより若い青年で――恐ろしく鈍い色の瞳をしていた。しかし、特徴的な頬の傷を見るまでもなく、浦舳はその人物に心当たりがある。)――ッ。(「百騎長」、と言いかけたその時、先日出会った新たな「百騎長」のあどけない笑顔が脳裏を過り、口を噤む。……そして、今唯一自分が知っている、あなたを表すことのできる呼称のために、喉を震わせた。)……バッシュ……?(それでも、ほとんど音の形にならなかった呟き。――入団当初にはなかったその頬の傷も、ウェンディア人には珍しい黒髪も。その双眸の濁りと、あまりに濃い影のある表情を以てしても、記憶の中の彼と同一人物であることに疑いの余地はないように思えた。……反射的に紙袋を差し出されるがままに受け取ろうとした時、あなたの挙動に反応して、背後を窺い見る。)


/レフィーネ ◆ > (その人物が口を開くと、レフィーネは耳を疑った。浦舳...ネリネの花を、「次に会うのを楽しみに」の花言葉を送った貴女。近くに寄ろうと一歩、二歩と足音を立てると、浦舳はこちらを振り向き目が合った。)う、う...浦舳さん...こんな所で、ま、また会うなんて!...こ、こ、この出会いに感謝します、太陽の名の下に!(聖騎士の間で交わされる挨拶を口に、にっこりと微笑んだ。屋台と言うには少し鄙びた、露天の前に立っていた浦舳を見て駆け寄る。)なななんのおおおお店ですか?お、おおおお菓子だったらいいなぁっ!
レフィーネ ◆ > (石畳の乾いた音が響いて、立ち止まる。露天にはクッキーの小袋がちょうど二つ、まるで浦舳とレフィーネが来ることを解っていたかのようにちょこんと鎮座していた。)わ、これ、おおおいしそう、あの、いいくら....っーーー!?(顔を見上げた先の店主を見て、浦舳を見つけた時よりもっと驚いた。...バッシュ。太陽神の微笑みはレフィーネが思うよりももっともっと奇なるもので、あまりに戯なものだった。もう顔を見なくともわかる。みすぼらしい茶色のローブ、背格好...。逃がしてなるものか。レフィーネはとっさにそう思い、クッキーの袋を二つ引っ掴んだ。取り返しに来るだろうか?それとも、この場を駆け出すだろうか?...太陽神のお導きならと、諦めてくれるかもしれない。いずれにせよ、レフィーネの瞳はバッシュを捉え、離さなかった。)


アッシュ > 「⋯⋯、⋯あ⋯っ。」((「アッシュです。」定型文となりつつあるその言葉すら、詰まってしまった。浦舳と、レフィーネ。どちらも一緒に居た期間に差はあれどアッシュ、いや〝バッシュ〟にとっては他の騎士団員とは一線を画す、それ程に思い入れの強い二人という点で同じで。片や歳上、片や自分より一回りも下。浦舳に気付いたのか懐かしい挨拶と共に駆け寄ってくるレフィーネに、アッシュは深い溜息を心の中で吐いた。もう、気付かれるのも時間の問題だろう。つい数日前に出会ったばかり、そう簡単に忘れてくれるとはどれだけ甘い採点をしても思えなくて。気持ち視線を下げた所で、まだ女性にしては高身長な浦舳の視界からは逃れる事は出来ても、自分より遥かに背の小さいレフィーネには、頬の傷どころか、淀んだ瞳すらも見えてしまうだろう。その証拠に、アッシュの視界にはしっかりとそのペリドットが映り込んでいて。逃げるようにフードの下で視線を逸らしていたが⋯⋯。
アッシュ > ───放たれたレフィーネの問い。⋯逃げてしまうには、これが最善手で、今この瞬間しか無いだろう。「バッシュ」を逃すまいとするレフィーネとは裏腹に、「逃げ時」を逃すまいとするアッシュはレフィーネからすすす、と黒い瞳を動かし、浦舳の方向に向けた。)「騎士団のお知り合い⋯⋯、ですよね?この子にも、差し上げますよ。⋯⋯売れ残りなので、どうぞ持って行って下さい、はは⋯⋯。」((レフィーネに対しては知らぬ存ぜぬを突き通すようで、浦舳は保護者扱いだ。あからさまに乾いた笑い声と共に口元を見れば苦笑いとしか取れない程度の作り笑いを浮かべると、僅かに首だけでぺこりと会釈を残し。「⋯⋯じゃあ、俺はこれで⋯。」と最後、気が抜けたのだろう、取り繕っていた敬語すらも解れさせ、一歩、二歩、と後ずさってから踵を返そうと⋯⋯。


浦舳 > ……百騎長。(現れた少女に対し、今度こそその名称が口を衝いて出る。同時に、もう一人の――否、「元」百騎長の様子を盗み見る。この言葉に、何らかの反応が見られないか、と……。明らかに余所余所しい態度で商品を押し付け、視線を泳がせ、この場から立ち去りたい様子を隠そうともしない“バッシュ”。一方で、クッキーの袋を奪い取ったかと思うと、その彼を睨み付けて視線を逸らそうとしない、レフィーネ。……浦舳が人の所作に鋭い密偵でなくとも、この二人の間に何かがあったことは想像に難くなかった。)……待ちなさい、“バッシュ”。(浦舳は自分らしくないと思いながらも、静かな声で。けれども強い語気で、彼を引き止めざるを得なかった。失脚した彼が、字を変えて生活しているであろうことも察していたが、敢えて。――彼はきっと、自分のことを覚えていると確信があった。)……この方は私の上官ですけれど、何かあなたに御用がある様子。少し、時間を頂戴しても?……お代も支払わなくてはなりませんし。


レフィーネ ◆ > (〝この子〟だなんて子供扱いするような口調でしらを切られて、思わず反論しそうになったその隙に踵を返した彼。しまった!と思い急いで彼を足止めする手立てを考えようと頭の中の魔術書を開く。しかし、浦舳の一言によりそれは閉じられた。〝元百騎長〟を前にしながらも凛とした浦舳の顔を見上げ、そして視線を〝バッシュ〟に戻す。)ひゃ、ひゃっきちょ...じゃなくて...ババババッシュさん!そうですにに逃しませんっ...!た、た、退団するなら、きききちんとした手順を踏むべきだと思いますしっ、わ、わたしにはっ、あなたが退団する必要性をっ、かっ、感じません!う、う、う、噂を、知らないわけではありませんけどっ...う、噂は噂、だしっ。それに、戦場では....ひ、人なんて簡単に..。そ、そ、そういうものなんじゃないですか?
レフィーネ ◆ > (無神経に放たれた一言は、幼さ故のものか、性質か。何人死んでも何人殺せば勝ちだというような、良く言えば兵隊向きの、悪く言えば浅慮な発想。その薄っぺらさに自覚する為には、彼女はあまりに自分以外の者の痛みを知らなかった。)...ク、クッキーのお代は...ちゃ、ちゃんとはは払いますっ。話もせずに逃げるだなんて。わ、わわ私を聖騎士団のレフィーネま思う前に、ひ、ひひひとりの、人間だと、思ってください!...(その言葉を放った瞬間レフィーネははっとした。そっくりそのまま自分に返る言葉ではないか、と。)


アッシュ > 「⋯⋯っ。」((────懐かしい響きに、足を止めてしまったのは間違いだったのだろうか。ただ1文字違うだけの単語。四文字という短い単語に込められた魔力は、まるで強力な魔術のように逃げ去ろうとする足を固まらせた。今更止まらなければ良かった、なんて考えても遅い事。固まった足を動かすには、旧友の魔術に対抗するのに、彼は有効な術(魔力)を持ち合わせていなかった。「分かりました」と返答は出来なかったが、僅かに丸まった猫背気味の背中を二人に向けたまま、その姿が一向に小さくならないことが答え。それでも体裁的に、国を守る騎士団に対する一市民として、浦舳に一応の返事をしようとした矢先。そんな空気を打ち破るように放たれた、途切れ途切れのレフィーネの言葉。開きかけた口をそっと閉じれば、黙って百騎長の御用の内容に、耳を傾けた。)
アッシュ > 「⋯⋯っ、く⋯⋯!」((子供故か、レフィーネ故か。告げられた言葉は⋯⋯辿々しいものの一つ一つが恐ろしく切れ味の良い刃物の様に、アッシュの背から突き立った。思い出されるのは、地割れに巻き込まれる仲間達の呆然とした表情。憎しみと軽蔑が篭った視線。心を細い針で幾重にも貫かれるような痛みに、苦しげに喉を鳴らす。ローブの下で拳を強く握ったからか、その背中がぶるりと震えるのが分かるだろうか。背を向けたままの彼の表情は苦悶の色に染まっていた。⋯⋯だが、襲い来る言葉の数々は鋭い刃物でありながら⋯浅ましくも彼にとっては、甘い甘い誘惑でもあった。罪の意識と恐怖、そして心の底の願望の間で揺れ動いたバッシュが取った行動は⋯⋯結局、黒にも白にもなれない、〝灰〟(アッシュ)の選択だった。)「───じゃあまずは⋯俺も一人の人間だと、思ってくれよ。」
アッシュ > ((背を向けたままぼそり。と返した言葉は、僅かに震えているものの、確かな意志を感じさせる。彼の言葉にはもう、魔力は宿っていないが、二人にはどう捉えられるだろうか、浦舳との応対で見せた、作り物の口調では無く、バッシュであり、今はアッシュである男の本来の口調。くるり、振り返った男の淀んだ瞳は、しっかりと二人に真っ直ぐ向けられた。顔を背ける事無く、逃げることも無く。一歩、二人の方に近付いては、ローブの下から片手を抜き出して、そのまま自分の胸に掌を宛てがうと、男は続ける。)「⋯⋯そこのあんたも。二人して俺のことをバッシュだとか言ってるけど、俺は⋯⋯〝アッシュ〟だ。良く分からない百騎長だとかじゃ無くて、アッシュとして俺を見てくれ、よ⋯。」((ちらり、浦舳も一瞥すると、捲し立てる様に言葉を紡ぎ。騎士団に戻る勇気は無いけれど、このまま二人との関係を失うのは寂しい。そんな自分勝手な男の灰色の選択を、今だけは真っ直ぐ、視線を伏せる事無く言い終えると⋯胸に当てた掌にぐぐっ、と力を込め。ローブに皺を作るアッシュだった。


浦舳 > (レフィーネの直截な物言いに、浦舳は一抹の不安を抱く。現百騎長たる彼女だが――“バッシュ”の心情を理解するには、まだ少し幼すぎるのかもしれない、と。事実、彼女の発した言葉は、彼が羽織る茶色いローブごと、“バッシュ”の背中を震わせたのを浦舳は見逃さなかった。……しかし、振り返った彼の淀んだ瞳と再び相対することで、その不安は徐々に霧散していく。)――“アッシュ”……。(その口から放たれた、彼の新たな呼び名をゆっくりと唱える。そして、彼が不完全ながらも自分とレフィーネ――聖騎士団――否、自分自身と向き合った結果を目の当たりにしたことで、思わずふう、と一つ息を漏らした。……少なからず、救われた気持ちだった。)
浦舳 > ……そう、アッシュと言うのですね。分かりました……。(「すぐに、とは申しません。けれど、あなたを忌み嫌っている人ばかりではないのですよ」――そんな、半年前、彼の心には届かぬまま聞き飽きたであろう言葉は飲み込むことにした。きっと、今ではない。彼の――“アッシュ”の固く握られた拳を見ての思惑だった。気が付けば、この路地に差してくる一筋の陽光は、今の自分達にとってはあまりに鮮やかな赤に変化していた。)百騎長。(体裁として判断を仰ぐために、今度は淀みなく、迷いなくその名を呼ぶ。ただ一人に対して。)


レフィーネ ◆ > (バッシューーもとい、〝アッシュ〟の言葉を反芻しながら、振り返ってこちらを捉えた瞳を見つめ、ゆっくりと頷く。そうか、この人はもう〝バッシュ〟では無いんだ。...それが意味する所の深さまでは分からずとも、それが今の彼と、一人の人間として対話する為のパスワードーー....呪文であるという事は理解できた。浦舳がその呪文を唱えると、張り詰めた空気は俄にふっと緩み、西から射す赤い夕陽が三人を見守るかのようにあたたかく降り注いでいるのに気づいた。)ーー....は...い。(百騎長、とレフィーネを呼ぶ浦舳を見る。小さく頷き、彼女に同意すると、改めて〝アッシュ〟を見据える。ポケットから貨幣一枚を手にし、アッシュの前に手を差し出した。
レフィーネ ◆ > ..ウェ、ウェンディア聖騎士団、ひゃ、ひゃ、百騎長を拝命しています。レフィーネと、申し、ます。(初めて会った時のように辿々しい口調で。違うのは、百騎長であるということだけ。〝バッシュ〟の空席をレフィーネが埋める形になったのも、今思えばやはり太陽神の戯なのかもしれない。...もう百騎長と呼ぶことはありません、少なくとも、あなたが戻られるまでは。今は思い出話よりも、太陽神の微笑みのように綺麗な西日色に焼けたバタークッキーのレシピでも、教えていただくことにしよう。) 



アッシュ > 二人の表情を見て、何かを飲み込むように喉の奥で静かに息を吸い込んだ。思いのまま、口走ってしまった言葉は本当に自分勝手で、半年前、何も言わずに罪の意識と軽蔑の視線、罵倒から逃げたあの日と何も変わらない。それに気付いてしまったからか、どうしようもなくまた胸が痛い。ぎゅうう、とローブに作った皺と一緒に表情まで険しくなっていく。琥珀をちらり、ペリドットをちらり。瞳を動かしてからそっと伏せる⋯。⋯次に放たれる言葉は、愛すべき百騎長の優舳しい言葉に身勝手な返事を返した俺への糾弾か?浦舳。⋯それとも、もうお前なんて知らないって見捨てるか?レフィーネ。ぐるぐると回る最悪の結末⋯だけどきっと、俺達にとっては正しい未来。噂通りの最低な人間の俺には、もうお前らと関わる資格なんて────。黒く澱んだ宝石を更に濁らせ、潤ませ、そこに銀色の水を湛えかけたその時だった。)「 え⋯。」
アッシュ > ((思わず顔を上げて、喉を鳴らすような声を上げてしまう。ついさっき、自分の足を縛った魔術師の口から放たれた呪文は、想像とは裏腹に酷く優しいもの。唱えられた4文字の呪文は、自分の何も縛る事はなく。俺が俺であることを、俺が俺を偽る事を許す、優しくて温かい魔術だった。浦舳をじっと見つめていたアッシュだったが、次の瞬間。かつては自分を表していたその呼び名に釣られるようにじっ、と〝百騎長〟に視線を移し、映す。⋯⋯怖い。きっとレフィーネは、俺をバッシュとして、〝百騎長〟としてしか見ていない筈だから。⋯それを完全に否定した俺なんかに、興味なんて無いかもしれない。ざわめく胸に合わせて、一度は弛んだローブの皺を再び深くする⋯⋯ 綺麗な瞳が、こっちを見た。)
アッシュ > 「⋯⋯っ、⋯⋯⋯⋯レフィー、ネ。」((⋯今の俺の名前は、呼んでくれなかったけれど。レフィーネは〝自己紹介〟を俺にくれた。俺を初めましてと迎えてくれた。⋯⋯つい、呼んでしまった名前。もっと淡白なものだと思ってたのに、ぽろりと口から出たお前の名前には、沢山の感情を乗せてしまっていた。初めましてなのに、隠しきれなかった多すぎる感情を。差し出された手に合わせるようにローブを掴んでいた手を離し、その手のひらを差し出せば、そこにちょこんと乗ったのは小さな貨幣。何とか一食賄える程度の額だけれど、何故か大きな大きな白金貨にすら見える。暫くじっ、と掌の上の硬貨に視線を落としてから、強く握り締め。ローブの内に腕をしまい込んで静かに目を閉じた。) 
アッシュ > 「⋯⋯⋯⋯俺は⋯アッシュ。ただのウェンディア国民だ。─────〝よろしく〟。」((ゆっくりと目を開けても、やはり淀んだ瞳は変わらない。二度と騎士団と関わらないと自分で決めたのに、今この瞬間、欲望に負けて作った抜け道を通り抜けたように、そう簡単に人は変われないから。⋯⋯それでも、ずっと光を吸い込んでばかりだった闇には、眼前の鮮やかな西日の赤が僅かに輝いている。単に斜陽が眩しかっただけか、それとも。⋯その答えを見つける前にアッシュは、隣の女性にも「初めまして」を済ませようと口を開くのだった⋯⋯。)〆