この世界では、”言葉”が魔力を持つ。

過去

(ゼペタル)

ゼペタル > (塒にしている自身の小屋の中、ゼペタルは杖を持って椅子に座っていた。ふと窓から声が飛び込んできた。小屋の外で、小さな男の子達が名にやらしている。届かないよ、肩車しよう、もっとガンバレ…と。あぁ、あのあたりには早咲きの桜の木があったはずだ。もう実をつけたのか…。木の下に小さな男の子達がおり、必死に手を伸ばしてサクランボの実を採ろうとするが、背が小さくて届かない様子が目に浮かんだ。ゼペタルは杖の先をコン、と地面に打ち付けて、杖が上に跳ねた衝撃のまま掘られたヨズア語を杖の中ほどまでなぞり、魔術を詠んだ。)…ダー・ニト・ロロイ・シュクロズア。偉大なるヨズアの王よ、いにしえの神へと続く天窓となり給え。いにしえのヨズアの神よ、木々を揺らす一陣の春風をわれ望む。(低いしわがれ声でそう呟くと、桜の木を一瞬の突風が煽った。サクランボの実が3つ4つ落ち、男の子はそれを拾い、ゼペタルはその様子を窓の内から聴きながら目を細めた。)
ゼペタル > …まだ使える、か……。俺の真名を知る者も随分とくたばったはずなんだがな……。 (シュクロズアと出会った頃はまだ尻の青いほんの子供のようだったゼペタルも、今や年上の魔術師を探すのに苦労する程度には年老いた。嘗ての同胞達も戦いや老衰で亡くなってしまい、真名を知る者も居なくなった。……一人を覗いて。)  
ゼペタル > (サラ。ゼペタルが初めて愛した女性であり、出会わなければ良かったと願った女性。現在はどこでどうしているのかも解らないが、魔術を使う度に思うのだった。魔術が使えると言うことはサラは生きており、約半世紀も経つというのに、ゼペタルの真名を忘れていないのだ、と。)
ゼペタル > (15歳。これはゼペタルが失明をして、ようやく古代ヨズア語を学ぶ気になった頃の話だ。) ……なぁ、随分魔術早くなっただろ?シュクロズア!俺、そのうちシュクロズアみたいに一瞬で魔術を使えるようになって、一晩で尊華の城を落としちゃうんだ。期待していてくれよ、なんたって俺はシュクロズアの一番弟子だからな。 (シュクロズアを中心としたヨズア国奪還組織はこの頃まだ名前がついておらず、ただシュクロズアの弟子達と呼ばれた。弟子達はゼペタルの言葉を「何が一番弟子だ、生意気な」と笑いながらからかった。シュクロズアもそんなひと時を微笑みながら見ていた。……一時期は己の真名を呪う程に悲観を極めていたゼペタルも、減らず口が叩けるようになったのだ。弟子達の空気はほっとした空気で満ちていた。)
ゼペタル > (ある日、ゼペタルが弟子達の集まりから離れて川辺で休んでいると、女の子が声をかけてきた。目が見えないゼペタルを案じて、帰れなくなったのではないかと思ったのだ。) ……ん?俺の事、心配してるのか?はは、侮るなよ。歩くくらいは目が見えるやつと同じくらいに出来るさ。俺は普段もっともっと難しい事をやってんだ。…見てみな (普段接することがない若い女の子という珍しい存在に少し浮かれたのか、ゼペタルは饒舌だった。そばに落ちている小石を2個、3個と拾い、空中に投げては器用に受け取るのを繰り返し、放物線を輪のように描いた。) なっ、凄いだろ。……アンタこの辺に住んでんの? (女の子は、サラと名乗った。ゼペタルとサラは自分たちが思うよりも長い時間話していた。サラもまた、他人の存在に飢えているようだった。二人はそれから時々川辺で落ち合うようになった。彼女はいつもゼペタルの話をよく聞いた。魔術師である事。ウェンディアに攻め入って視力を失った事、シュクロズアの元で古代文字を学んでいる事。シュクロズアと共に居ることはヨズア人として誉れであったから、ゼペタルがサラに話さない訳はなかった。)
ゼペタル > ……なぁ、俺女の子と接する機会なんか今までなかったんだ。女の子ってみんなサラみたいなのか? (サラは、そうではないと言った。そして「女の子」という歳でもないと。) ……はっ!?俺より年上…って、うそだろ…!いやいや、目が見えないから解らなくても仕方ないって、仕方なくなんかない。一瞬で相手を見抜かなきゃ、戦いに不利だろ?くそー。修行が足りなかったか。 …でもさ、女の子がみんなサラみたいじゃないって聞いてほっとしたよ。だってみんなサラみたいだったら、全員を好きになっちゃうかもしれないから。 (サラは自分のことは何一つ喋ろうとしなかったが、ゼペタルにいろんなことを教えてくれた。ゼペタルが食べた事のないお菓子を食べさせ、ゼペタルの前に広がる景色を代わりに見た。若きゼペタルに女を教えたのもサラだった。) 
ゼペタル > (そんな日々を壊したのは、唐突な出会いであった。”ヨズア人の商人が尊華の女を囲っているらしい”。そんな情報が組織の間に流れた。尊華からのスパイではないかと危惧した弟子達によってすぐにその人物は特定され、弟子達は事の真相を探るべく、直接に足を運ぶ算段をつけていた。”ゼペタル、おまえも来るだろ”。そんな風に声を掛けられたが、サラに会いたい気持ちのほうが大きく、はっきり言って尊華の女などはどうでもよかった。しかしこれも組織の活動だと足を運んだ先で、耳にしたのは信じられないものだった。初めは商人の後ろで黙っていた彼女が弟子のひとりに詰め寄られ、発した声はサラのものだった。) ……サラ……? (ゼペタルは思わず声をあげた。弟子達の後ろに居たのでサラは自分のことを見えていなかっただろうが、声を出してしまったらこちらに気がつかない訳はない。ゼペタルは走った。火がついたように、その場から逃げ出した。サラ、居てくれ。尊華の女とは別人だって言って安心させてくれ。そう思いながらいつもの川辺に行ったが、サラの姿は無かった。)
ゼペタル > (二日、三日経った。一週間経って、一ヶ月経った。ついぞサラの姿が現れる事はなく、ゼペタルは徐々に気力を失っていった。ヨズア語の解読に身が入っていないとシュクロズアにたしなめられたときも、あいまいに返事をするのみだった。そんな彼の様子を案じ、シュクロズアはある夜、焚き火の番をしているゼペタルを訪ねて起きてきた。眠れないから一献付き合え、と蒸留酒を差し出して。) 俺、酒飲んだ事ないよ。あんまり良くないってアンタが言ったんじゃないか、シュクロズア。 (二人は火を囲みながら話した。ヨズアのこの先の事や、尊華の城を落とした伝説の一夜のこと。ゼペタルの悩みには触れず、まるで独り言のように話した。自分自身の人生について、戦わないで後悔するよりも戦って散りたかったのだと。最後にシュクロズアは、酒のせいにしてしまえ、と言い残してその場を後にしたのだった。)
ゼペタル > (何もかも解っていたのだろうか、それとも、何も解らないがそう言ったのか。いずれにせよ、それはゼペタルを鼓舞するのに充分だった。ゼペタルは商人の家へ足を運び、届くか届かないか解らない叫びを放った。) …俺だ、ゼペタルだ!お前がスパイでも、敵国の人間でも構わないから、俺から逃げるな!あそこで待ってる、お前がきちんと俺に話をするまで、いつまででも待ち続けてやるからな! (その次の晩、サラは現れて色々な話をしてくれた。自分はスパイではないこと。ヨズア人を売買するのは気が引けるだろうが、敵国の女ならばおもちゃにしても心が痛まない商人によって金で買われた存在であること。そして、そんな自分をゼペタルには知られたくなかった事。ヨズア人しかいないこの島で、自分がまともに会話をできる相手は、目の見えないゼペタルだけであったこと。嗚咽を交えながら、サラは話した。) …俺が憎くないか?尊華を侵略したヨズア人であるこの俺が。
ゼペタル > (ヨズア人に良い感情は抱いていないが、ゼペタルだけは別だとサラは答えた。二人は夜の川辺で手も握らずに目を瞑って泣いた。いつも景色を共有してくれるサラと、暗闇を共有して泣いた。きっとこれが二人が会える最後の夜になるだろうと、言わないでも理解していた。夜が明ける頃、ゼペタルはシュクロズアにさえ教えなかった自分の真名を告げた。) 俺の名はアシェド。ヨズア語で遠くまで見通すものという意味なんだ。皮肉だろ?……覚えててくれるか? (別れの代わりに。と、ゼペタルは言わなかった。サラは、自分の名前は本当は沙羅であると、春の尊華に咲く白い花の事だと教えてくれた。) (それから約半世紀が経ち、今はどうしているのか解らない。自分より年上だったサラの事、きっともういつ死んでもおかしくないだろう。それまでに誰か真名を教えられるような人物と出会えるか、自分が死ぬのが先か…。ゼペタルは目を瞑って、春の風を頬に感じていた。)〆